ちょっと走って河口まで、世界で一番好きな香り
いよいよ春だ。
午後の日射しが差し込む窓際でケインが毛繕いをしている。陽を浴びて温かいケインにモフってみた。
うーん、なかなか心地よいではないか。
微睡みかけたケインを窓辺に残して、いつものランニングバックを背負って走りに出かけた。
いつもの土手沿いコースを川下へ向かい、河口を目指した。
風も吹かず暖かい春の陽を浴びて、ごく一部の気の早い桜が咲いていた。おおかたは緑のつぼみを膨らませている段階で、開花にはもう少し時間がかかりそうだったが、東京では桜の開花が発表されたということを帰ってきてから知った。
30数年前の夏、小学生だった私は、自転車に乗って、この河口のこの場所に友達とハゼ釣りにきたのだ。潮が引いた砂泥地を掘り返し捕まえたてゴカイを針につけて釣り糸を垂らすと、飽きるほどハゼが釣れた。
真夏の暑い日で、コンクリートの護岸から突き出た配水管から、黄色の排水がほとばしる勢いで川に流れ込んでいたのが印象的だった。
あの頃に比べたら都会を流れるこの河も、だいぶまともになったのだろう。今年の夏は、久しぶりにハゼ釣りも悪くないな。
しばらく休んでから来た道を折り返した。
途中で、ある香りを嗅ぎつけて、その場で脚を止めた。香りの源がどこにあるのかはわからない。しかし、私には確信があった。それは、私が『世界で一番好きな香り』だった。
土手を降りたところで、それを見つけた。
『沈丁花』
その香りの記憶は子供の頃にまでさかのぼる。春前の肌寒い空気と、暖かい日射し、そして青い空。まわりの情景はとても曖昧で、本当の記憶であるかも定かではないのだが、香りだけははっきりと覚えている。
冬の寒さが和らぎ、春の兆しに身体も心も躍動し始める季節にやってくる清冽な香りが、「何か」というのは長い間わからなかった。「ジンチョウゲ」という花の香りであることを知ったのは、二十歳を過ぎてからのことだった。
今の住居に引っ越してきたとき、それまで住んでいた狭いワンルームに比べてベランダも広くなったのが嬉しかった。大きい睡蓮鉢を手に入れ、ベランダに置く植物として最初に買い求めた中に、沈丁花の鉢植えがあった。
しかし想像とは、いくぶん違っていた。沈丁花の香りは、屋外で、どこからともなく漂ってくる香りにハッと気づくという不意打ちのような状況でこそ、その清冽さを発揮するのだということがわかった。咲いている花弁に鼻を近づけて嗅ぐ香りとは、明らかに違うのであった。
毎日走っている通勤ランのコースでも、3カ所ほど沈丁花の植え込みがある。そこを通過するときは、口を閉じて鼻から息を吸うようにして走る。今年はもうすぐ時期が終わりだが、いつの日か、「沈丁花の香りを求めて走るロングラン」ということをやってみたいな。
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