2011年大晦日に走った帰省RUNの写真をUPした
走り慣れているランナーなら、自分なりの距離感をもっている。10kmを走ったらどれくらい時間がかかるかとか、どれくらい疲れるかなどを思い描くことは難しくない。
普段走らないような長距離を走った場合はどうか。ある距離を超えた時点で、使い慣れたモノサシは役に立たなくなってしまう。
そこから先は、走ったことのない道が続いている。いつの間にこんなことにと訝っても、後戻りできないのは明白だ。
一歩一歩を踏み出す足の重みがまるで違う。これまでは、これ以上あがらないところまで心拍を追い込んだとしても、その後どうなるのかがわかっていたので不安はなかった。疲労の程度は馴染みの範囲であり、私を痛め付けようとする敵でないこともわかっていた。
しかしいまは違う。身体的な苦痛があるが、その向こうに何があるのかがわからない。どのくらい余力を残せばいいかも見当が付かない。という以前に、自分に残された余力も、まるでわからない。
長距離ランナーは、最終的にはこの道を走らなければならない。
それは長距離ランナーに与えられた特権だ。苦しいけれど、肩を落とすことなく、胸をはって進む道だと思うのだ。
2011年12月31日・大晦日帰省RUN詳細
実家の洗面所にて
鏡に映った自分を見て驚く。
かいた汗が大晦日の寒風にさらされて塩をふいている。しかもドクロの凶相とも見えなくもなく、スカルをまとったアウトローのなれの果てか。
この後に入った風呂は最高でした。
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