赤ふんどしの思い出
これを読んでいる方の中で「ふんどし」を着用した経験のある方はほとんどいないと思いますが、そんなある意味珍しい過去の記憶を綴る投稿になります。
といっても何か特別な経験をしたというわけではありません。通っていた高校の年中行事として夏に千葉の外房・勝浦の守谷海岸で臨海学校があり、その海水浴で男子は全員、赤ふんどしを着用していたのです。
小豆色のさらしでできた六尺褌というやつです。
股間の真ん中に当たる位置になるように、水色の校章がプリントされた白い四角の布地が縫い付けられていました。女子の間では、男子のチンポジならぬ、校章の位置について話題になっていたと友達が話していましたが、真偽のほどはわかりません。
一週間ほどの臨海学校では、遠泳の練習以外にも、海岸の高い岩場からの飛び込みなどの行事がありました。
メインイベントは、となりの海岸から岬を回って帰ってくる2kmほどの遠泳です。その為に隊列をつくって泳ぐ練習が繰り返されました。
泳ぎながら時々皆で「よー!ゆー!こー!れー!」とかけ声をあげます。これが「養勇講礼」と書くことを今回調べてみて初めて知りました。勇を養い礼を講ずる、という意味でしょうか。
生徒は泳力によって「ABCD」4班に分けられました。
- A班 泳ぐのが得意、主に水泳部
- B班 普通に泳げる
- C班 泳げる(BとCの違いは泳げる距離、あるいは泳法で判断されたと思いますが、詳細は忘れてしましました)
- D班 あまり泳げない
D班の遠泳は、海岸近くの小舟から砂浜まで泳ぐことになります。
私はB班でしたが、毎年行く家族の海水浴でも足のつかないような所まで泳ぐ経験はほとんどありませんでした。
数人のグループごとに、水泳部のOBがサポートとして参加しています。また教師が乗った小舟が常に監視を続けていますが、自然の海の上で、あれだけの数の生徒の安全を担保するのは大変であったと想像します。
ちなみに遠泳でふんどしを締める意味ですが、歴史ある伝統というだけではなく、いざという時にふんどしをつかんで救助するため、という話を教師がしていました。女子は代わりに、スクール水着の腰にその役割を担う白い帯を巻いていました。
さて最終日の前日に予定されていた遠泳の朝、起きてみると外はどしゃ降りの雨でした。こりゃ中止じゃわい、とみんなで喜んでいたのですが、そんなに甘くはありませんでした。
雨の降る中、傘もささずにとなりの海岸までふんどし姿で歩きました。そして降雨と波浪のある沖に向けて遠泳が始まりました。この遠泳については相当昔の経験であり、ほとんど忘れてしまったのですが、逆に記憶に鮮明に残っていることもあります。
沖に出るとうねりが強く、私は前の泳者からどんどん遅れてしまいました。
当時はとても痩せていて体力もありませんでした。
この高校では体育の授業が2時限連続してあり、皇居の周回ランニングもよく行われました。私はいつも最後尾で大きく遅れてあえぎ、苦しい思い出しかありません。
身体を動かすことの素晴らしさに出会ったのは大学に入ってからです。この数十年後、通勤ランナーで年間3,000kmほど(ほぼ日本縦断)を走るようになるとは不思議なものです。
後ろの生徒が私を追い抜いたところで、一緒に泳いでいた水泳部のOBに声をかけられました。
「○○(私の名前)つかまれ!!」
先輩の肩に両手でつかまると、力強い平泳ぎで、うねりをものともせずグイグイ引っ張っていきます。その時に感じた安堵は、数十年たった今でもはっきりと覚えています。
どれくらいの時間、海の中にいたのでしょうか。どうにか守谷の浜辺に戻ってきました。それなりの感慨があったと思うのですが、今となってはほとんど覚えていません。
ただ覚えているのは、冷え切った身体と強烈な尿意です。ふんどしで強く締め付けられていることから、海中で用を足すことができなかったのです。友達と一緒にトイレに駆け込み、小用を足して気持ちが緩んだ瞬間に、とても驚いたことがあります。
周りの情景に現実感がまったくないのです。
雨は止み、日射しさえ差し込んできましたが、それらはすべてテレビのブラウン管ごしで観ているような非現実感なのです。「まったく大変だったな」と笑う友達に「まるで現実感がない」という意味のことを話した記憶があります。
やがて現実感は戻りましたが、これはとても強烈な感覚でした。
後日、あまりに印象的だったこの非現実感について調べてみてました。インターネット以前の話なので、情報源は「家庭の医学」系の書籍です。どうやら私が経験したのは「離人感」という精神状態だったようです。
離人感・現実感消失症は,自身の身体または精神プロセスから遊離(解離)しているという,持続的または反復的な感覚から成る解離症の一種であり,通常は自身の生活を外部から眺める傍観者であるような感覚(離人感),あるいは自分の周囲から遊離しているような感覚(現実感消失)を伴う。本疾患はしばしば重度のストレスにより引き起こされる。
一過性の離人感または現実感消失を,一般集団の約50%が,生涯のうちに少なくとも1回経験する。
引用元:MSDマニュアル プロフェッショナル版 / 08. 精神障害 / 解離症群 / 離人感・現実感消失症
これまでにフルマラソンや70kmを超えるLSDなどを経験しましたが、同じような非現実感を経験したことは一度もありません。受けるストレスの強度を左右するのは、運動強度だけではないようです。地面を蹴って走るランニングと、足もつかない大海原でうねりにもまれる遠泳とでは根本的な安心感・不安感が違うということでしょう。
以上、赤ふんどしにまつわる、とりとめもない記憶の断片でした。たぶん捨てていないと思うので、自宅のタンスを探せば色あせた赤ふんが見つかると思います。その時は写真も載せましょう(誰得???)
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