【勝田マラソンへの道閉ざさる!?】椎間板ヘルニアにゃんとな!
ひと月ほどに発症してなかなか治らない右脚の痛みと右足親指のしびれを診察してもらうために、今日は整形外科へ行ってきた。
インターネットで調べて見つけたその整形外科は、 高級住宅街で有名な街の駅前にあった。平日の整形外科なら閑散としているだろうという勝手なイメージとは裏腹に、その待合室には色とりどりの熱帯魚が泳ぐ水槽が置かれた、ハイソな老婦人の集うサロンであった!
たしか、ケインの緊急手術をしてもらった動物病院も、ここからそう遠くはなかったはず。ケインは即刻手術となったが、私はレントゲンとMRIによる検査となった。
まず始めに院長の問診があった。
通勤ランで毎日 16km走っています。これまで特に怪我をしたことはないのですが、一ヶ月ほど前から急に右脚の裏が痛くなり、しびれもあります。二週間ほどして痛みが和らいだので走ってみたのですが、膝とかも痛みだし、走れなくなってしまいました。痛みが出る前に負荷をかけたわけでもなく、原因がわからないのが不安です。
そこで院長から
なんで走るのでしょう?
私
はい?
院長
通勤するのにそんなに急いでいるから走るのですか?電車もバスもあるでしょう。
私
…
院長
脚が痛いのになぜ走るのでしょう?
私
それは趣味といいますか…
私は記録に命をかけたアスリートではないが、ランナーである。ランナーに対して、脚が痛いのになぜ電車に乗らないのかと問うのは愚問以外の何物でもない。開いた口がふさがらず、あごが外れそうになったが、院長の意図は別のところにあるかもしれなかった。
何はともあれレントゲンを撮ってみるということで、足首から先を縦横に、次に腰を曲げたり反ったりしながら、合計10枚近くのレントゲンを撮った。今ではフィルムではなく、ディスプレイですぐに確認できるのであった。
ねんざとかはなし、骨にも異常はなし。ただ少し扁平足気味で足底のアーチが少ない。
背骨を横から撮ったレントゲンを見ながら、症状からすると腰にも要因があるかもしれないということで、MRIで精密検査をすることになった。検査するのに40分間くらいかかるという。料金は 保険がきいて5,000円ほどだ。
専用の検査室で、巨大な円形のテーブル状の検査装置に挟まれて横たわった。目の前10センチくらいのところに装置がきて、とても閉塞感があるが、私はむしろ心地よかった。空調が止められないので寒いかもということで、手足には毛布を掛けられる。ピアノのインストルメンタル曲が流れる中、検査装置からは断続的にコンコンとかガガガとかいう機械音が聞こえていた。
手足が冷えて、寒さが背骨まで登ってきそうなところで検査は終了した。この結果も、すぐにモニタで確認できるのだ。その結果というと、
腰椎に椎間板ヘルニアが!
どうやら足指のしびれは、これが原因らしい。検査結果を見ながら院長との話し合う。
- 椎間板ヘルニアは、痛みやしびれの要因の一つに過ぎない。
- 椎間板ヘルニアがあっても症状に表れないことも多く、このヘルニアも急にできたものではないはず。
- 他の身体的・精神的要因と重なって発症したものなので、この映像を重要視するのはではなく、痛みやしびれという身体が発した信号の意味をよく考えるべきである。
特に
『健康を気遣うといっても、世間に流布される「健康に関する情報」に頓着するのではなく、自分の身体が発信している情報を気遣うというのが大切だ』
という意見には目が開かれる思いがした。
その後、リハビリと称した簡単なストレッチを受け、しびれを緩和するメチコバールというビタミン剤を処方された。
とりあえず原因がわかってほっとした。痛みもしびれも快方に向かっているようなので、じきに走れるようになると思う。ただ復帰のタイミングはよく考えないと、逆効果だということが身に染みた。
帰ってきてからインターネットで椎間板ヘルニアを患ったランナーについて検索してみると、けっこうな情報が出てくる。
こちらは、臀部の痛み、大腿の張り、右足の親指のしびれなど、私の症状とほぼそっくりである。
いくつものリンクをたどりながら、わかったことがある。そこには、椎間板ヘルニアだという症状を得て、走り続けることに対する不安があった。ランナー本人もしかり、見守る家族もしかり。しかし、走ることを止めたランナーはひとりもいなかった。
二ヶ月後に迫った勝田全国マラソンに走れるかどうか、だいぶ厳しくなった。しかし新たな目標ができた。
『身体の声を聞くこと』
しかし、これはとても難しそうだ。「身体」の声を認識するのは「心」だが、「心」はそうとうなしたたか者で、まやかしが多い。「心」のおもむくままに生きたら大変なことになる。たとえばアルコール依存症も摂食障害も、「身体」を無視した「心」の暴走に他ならない。
普段は「心」の影に隠れて、せっせと自律的に生命を紡ぐ「身体」だが、「心」を押しのけて自己主張する時がある。そんな時のパワーは絶大だ。その最たるものが「病気」だろう。「身体」が発するアラートである「病気」は、「心」の優位を一気に逆転してしまう。
そしてランニングもまた、「身体」の優位を取り戻す手段として機能しているのだ。「心」は意のままにならない、どうにか手なずけたいという気持ちがある。そしてランニングは「心」に良く効くのだ。
しかし、だ。
私のランニングは「身体」をないがしろにした、「心」偏重のものだったのではないかと思えた。たとえばランニング中毒という言葉が示唆するように、身体活動でありながら精神的なバイアスがあるのは確かだ。
そのバイアスを取り除いた時に、よるべとなる「身体」の声を聞くことができるのだろうか。
椎間板ヘルニアの経過、その後のランニングについてはこちらにまとめてあります。
椎間板ヘルニアとランナー、その後
投稿:2013年09月24日
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