空芯菜と塩豚の炒めもの
空芯菜という青菜を買ってきました。
「空芯菜」という言葉と初めて出会ったのは、むかし読んだ藤原新也さんのエッセイの中だったと思います。東南アジア諸国で食用とされてきたということで、本で読んだ当時はまったく聞き慣れない言葉でしたが、今では日本でも簡単に手に入るようです。
久しぶりに仕込んだ塩豚と一緒に、青菜炒めにしてみましょう。
空芯菜、塩豚、ニンニク、唐辛子、胡椒、ナンプラー、サラダ油
空芯菜は一口大に切り分け、茎と葉を分けておきます。塩豚はスライスして、ニンニクは粗みじん切りにします。
塩豚:豚バラ肉の表面に多めの塩(小さじ2)をすり込み、キッチンペーパーに包んでからビニール袋に入れて冷蔵庫に入れます。毎日キッチンペーパーを取り替えて、3日目です。
サラダ油で塩豚を炒めていきます。弱火でじっくりと加熱して、きつね色になったら取り出しておきます(塩豚は、アンチョビのような調味料的な食材として使います)
残った油にニンニクと唐辛子を加え、香りが立ったら空芯菜の茎を加えます。
茎を加えてちょっとだけ炒めたら葉も加えます。塩豚を戻し、胡椒を挽き、ナンプラーを少しだけ振りかけてひと混ぜしたらできあがりです。
空芯菜の茎のシャキシャキとした歯ごたえがいいですね。塩豚にニンニクと唐辛子で、ご飯によく合う、なかなかパンチのある味付けになりました。
お店でこういう丼があったら、きっとヒットすると思います。
あらためて本棚に40冊ほどある藤原新也さんの著作を調べてみると、空芯菜の話は「幻世」のいちばん最初に載っていました。
なんとなく禅的なこの野菜の名前は、読んで字のごとし、芯が空っぽの葉、という意味である。姿はほうれん草と菜の花のあいの子のようであり、葉っぱは細長いハート型をしている。中が空洞だから、軽くてしなやかで折れやすく、いかにも食べられるのを待っているような、優しく、そしてむなしい感じがする。
出典:藤原新也著「幻世」
その後には「香港は九龍半島の裏町の夜、人群れのむんむんとひしめく雑踏の飲食街で」空芯菜を使った料理を食べ続けた詳細な描写が続きます。それを読んで、見たことも聞いたこともない異国の「クウシンサイ」という野菜をぜひ食べてみたいものだと思いました。
私が藤原新也さんの著作をよく読んでいたのは20年ほど前のことです(部屋が手狭になり、買い求めた本の大半は段ボール箱に詰めてブックオフに売却してしまいましたが、藤原新也さんの著作だけはすべて手元に残してあります)
20数年を経て、やっと空芯菜を味わうことができたわけです。
エッセイの後段で、ビルマの寺院の池で見た亀の話が出てきます。
ところで奇妙な話だが、ある種の亀は、これを生で食う。
そこから空芯菜という野菜が持つ、人も亀も夢中にさせる「妙な魔力」が何かという考察があり、「ビルマの寺院の境内の安らかな水面」に浮かぶ亀と、「人工の囲いの中で酸欠状態を呈している人間たちの恒久の自閉」に想いをはせて、エッセイは結ばれています。
ところで、今回の調理時には、私も空芯菜を生で囓ってみました。まったくクセのない、素直な味わいです。
調べてみると家庭で栽培することもできるようです(エッセイの中では、自分で栽培しようと種を買って帰ったのだが、生育条件が合いそうにもないので諦めていると書かれていましたが)
今年はまだベランダ菜園計画が白紙状態なので、バジルの他に空芯菜を考えてもよいのかもしれません。空芯菜をたっぷり入れたガパオライスなんて、いかにも美味しそうではありませんか。
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