とんだ一日だったにゃん

ケインの受難

勤め先から帰宅して玄関の扉を開けるのは、いつも早くても21時過ぎだ。

一年を通して、たいてい汗まみれなのでシャワーを浴びに風呂場に直行したい気分だが、まずはリビングの明かりをつけて、すり寄ってくるケインをひと撫ですることにしている。

昨日もそうだった。いつものように背負ったデイバックのサイドポケットから家鍵を取り出し、玄関の扉を開いた。

しかし、玄関でシューズを脱いでいる時に何かいつもと違うことに気がついた。

ケインの気配がない。

リビングと玄関の間の引き戸は、外出時には閉めることにしている。引き戸の向こうからは、主人の帰宅を察したケインのニャンニャン鳴く声が聞こえるのが常だ。

しかし、今日に限ってひと鳴きもない。 「ケンくん」と声をかけたが返答はない。

いやな予感がした。

いつだったか、ベランダの網戸が開いてケインが夜のベランダを闊歩していたことを思い出した。

『遁走&逐電!』

あるいは、噛み切ったコルクの栓のかけらを飲み込んで命を落としかけたことが頭をよぎる。

『不慮の事故!!』

わき起こる不安をかき消すべく、急いで引き戸を開けて薄暗いリビングに入る。

見慣れたリビングが、別の部屋であるかのような錯覚があった。

ケインの自動餌やり器の受け皿にはキャットフードが、そのまま手つかずで残っている。

明らかにこの部屋に(生きている)ケインはいない!!

電気をつけるのももどかしく、リビングの中央まで踏み込んで部屋中を見渡す。


拾ってきたばかりの子猫ケインは、終始じゃれて遊んでいるか、無防備な体勢で眠りに落ちているかのどちらかだった。起きている時間はじゃれっぱなしで、最初の一ヶ月間はパソコンのキーボードもまともに叩けないくらいだった。なので毎朝の出勤時も大変だ。猫のオモチャを部屋の隅に投げて、子猫の気をそらして、こっそりと部屋を出たりしていた。

じきにリビングと玄関の間にペット用のゲージを流用した柵を置くようになって、悟られぬように部屋を出ることに苦心する必要はなくなったが、朝出て行くとずっとひとりぼっちになることを理解したらしく、出勤しようとすると、抗議するかのごとくニャーニャー鳴いて玄関まで付いてくるようになった。

身軽な子猫の時分は柵をまたごうとすると、手のひらを目がけて飛びついてきた。

成長してからは抗議の対象を足の甲に変更したらしく、毎朝必ず飛びかかってガブッとやる。それをふりほどいて出勤するというのが日課となっていた。ガブッの真意を考えると、飼い主にとってみれば悪い気はしなかったので、ちょっと痛いが我慢した。ケインもガブッで状況が変わるとは思っていないようでもあり、まぁ、毎朝のお約束ごとのように繰り返していた。

その毎朝の日課が一週間くらい前からなくなった。

というのは、出勤時にケインが玄関まで付いてこなくなったからだ。毎朝シャワーを浴びてから出勤の用意をする。リビングの隣の寝室でランニングスパッツをはいたりしているとケインがやってくる。シャワーの後にはしきりに足下に体をこすりつけてくるので、喉の下をしばらくぐりぐり撫でてやる。これもお約束ごとのひとつ。それが終わると、ケインは壁際に置かれた段ボール箱の上に乗ってしまう。箱の中身は未使用の自転車のタイヤで、上部がちょうどケインが横たわるのに最適な大きさになっている。横たわったケインは黒目がちな瞳をまん丸にして、背負うデイバックにタオルなどを詰めている私を見ている。

リビングと寝室の間の扉は、外出する時は閉めるようにしていた。

寝室の本棚には本以外にも雑多な小物類を並べてあるし、外出している間にケインがどんなイタズラをするかわからない。だから出勤時には後を付いてくるケインをリビングに入れてから扉を閉めていた。しかし、数日前からリビングに付いてこなくなったのだ。デイバックを背負って寝室を出て行こうとしてもケインは段ボール箱の上に横たわったまま、もの言いたげな目でこちらを見ている。

最初の日はキャットフード一粒を餌の受け皿に置くと釣られてリビングに来たが、次の日からはキャットフードの効力もなくなった。

どこに行くニャン

 

ここを動かないニャン

そんなケインの意思が感じられた。無理に動かす必要はない。抗議の新たなパターンなのか、それとも寝室を閉め出されるのがイヤなのかはわからない。でも玄関までのお見送りがないのは、ちょっと寂しいなぁと思った。

 

 
だからリビングと寝室の間の扉は閉めていなかった。

そして昨日は風が強かった。この部屋は風通しはすこぶる良い。


開いているはずのリビングと寝室の間の扉が閉まっていた。
風だ。風が吹いて閉まってしまったのだ。

ガバッと扉を開ける。足下に黒い影が!

にゃ?ん。ケインの鳴き声は、いつになく弱々しいものだった。

軟禁状態から解放されたケインは餌をガツガツ食って、水をベロベロ飲んだ。ついでトイレも使った。

ケインなりに脱出を試みたらしく、扉の下のタイルカーペットが1枚剥がされていた。もし不測で外泊などしていたらヤバかったかもしれない。猫が水なしでどれくらい耐えられるのか。

寝室の扉を開けておく時はドアストッパーを使うことにした。

でも、何もなくてほんとに良かった。なぁケイン。

とんだ一日だったにゃん

 

 

何もなくないニャン

とんだ一日だったニャン

 

 

 

 

 

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猫あるいはケインcat

Posted by movinow